【対談】~芸で生きるということ~   書家・ねこ田にゃん三郎 × プロ音ゲーマー・NYN-5

本日出会ったのは、片やニボシ流の長にして、全国に数百匹の弟子を持つ大書道家。片や、若者世代から絶大な支持を集める新進気鋭の実力派ゲーマーという、年齢も、活動のフィールドも、その職業の歴史も全く異なる、決して接点を持つことのないであろう二人。

共に第一人者として、それぞれの世界をリードしてきた彼らにしか見えない景色を存分にお楽しみいただこう。

 

ーーー本日はお忙しい中ありがとうございます。早速なのですが、自己紹介からお願いします。

 

NYN-5:ええと、初めまして。NYN-5です。一応プロの音ゲーマーとして活動させていただいてます。

 

ねこ田にゃん三郎:はじめまして。今日はめずらしい機会をどうもありがとう。私はニボシ流の書を書いている書道家です。わたしは書を書いて販売することで整形を立てているわけですけれども、その、音ゲームというのは、どういう仕組みでお金になるんですか?

 

NYN-5:主に広告です。僕のプレイする様子をインターネットで配信して、そこに広告を何秒かずつ載せて、それを見てもらう。後は大会の賞金もあるんですが、これはまだそんなに規模が大きくなくて。知名度の割にはそこまで稼げてるっていうわけでもないです。だからプロって言っても、ギリギリ生計立つくらいというか、そんなちやほやされるようなものというより、無理やり名乗ってるというかみんながそう呼んでるだけというか。

 

ねこ田:なるほど、面白い。それは正解のないヒーローのような生き方ですね。私は書家の父のもとで育ちましたから父がいわゆるロールモデルでした。いまでは当たり前になりましたが、こういう雑誌だって、ストリートでよくやってるにゃん芸だって、彼らも昔は「そんなことで稼げるものか、生きてゆけるものか」と言葉の石を投げられていたようです。あなたも、そういう生きづらさのようなものを感じたことはありますか。あるいは、迷いだとか。

 

NYN-5:迷いみたいなものは、いつもありますね。これでいいんだろうか、音ゲーで暮らしていけるんだろうかって不安は。けれど周りに同じように暮らしてる人がいたり、ファンの人に応援してもらったりして、一応こういう生き方にも居場所はあるのかな、って思ってたりします。普段は、目の前のことで精いっぱいであんまりそういうこと思わないんですけど、ふとしたときにちょっと不安にはなりますね。まだ音ゲーには、書道ほど歴史や伝統みたいなものがなくて、道徳的なバックボーンがないというか、僕らだけ浮いてるような感じがしてしまって。

 

ねこ田:そうですか。先人がいないということは、そのままの意味で”まだ道ができていない”ということですものね。とすればあなたが歴史を紡いでいることになりますが、道徳、と言いますと?具体的にはどういった場面で回顧的になられますか。

 

NYN-5:やっぱり、他の業界の方と比べたときにそう感じてしまうというか。良くも悪くも先輩がいないので、縛られることもないんですが、同時に困ったときに導いてくれる人もいなくて、例えばコミュニティで問題が起きたときに、僕らで解決しなきゃいけない。何が正しいかも僕らで決めなきゃいけないというか。この業界で何を守って何を変えていくのか、まさに僕らが決めてるんだと思うと、心細いような気がしてしまって。これは偏見かもしれないのですが、書道の世界は、何年も何千年も昔からの歴史を大事にしてるイメージがあって、少し羨ましいです。頼るものがあるというか。

 

ねこ田:ああ。その意味では、私たちは真逆でしょうね。書道は、気の遠くなるほど昔から先人たちが追求してきて、もう草原は食い尽くされたかのようです。これは音楽とか、他の芸術でも言えるのかも知れないですが、私たちはいまいる所のまわりを見渡して、隣にまだ食べていない草あればそちらへ移る。そのようにして、それをもって進化だとしてきました。隣にしか行けないのです。ただ、こういったことはもうそちらでも起こりはじめているでしょうが。

 

ーーー今、お二人の立ち位置の違いというものが浮き出てきましたね。想像上で構いませんので、お互いの職業の大変そうだなと感じる部分を教えてください。

 

NYN-5:書道って、人の見てる前で大きい紙に書くやつあるじゃないですか、あれは緊張しそうって思います。失敗しても直せないし。

 

ねこ田:慣れると緊張しませんよ。ちゃんと準備を怠らなければ緊張はしません。スピーチと同じですね。まあミスはあり得ますが、歌のメロディをほんの少し外してしまうようなもので、特段のミスをすることはまあないのです。ただ若手の頃に一度だけ二文字目から書きはじめたことがあって、一画目をすぐ上書きしてごまかしたことはあります。あれはひどかった(笑)当時の好きな人のことを考えていて…。音ゲームこそ、プロは一曲で一度もミスできなそうですが。

 

NYN-5:二文字目から(笑)すごいですね。音ゲーはもう身体に染みついているものなので、本番でやれるかどうかというよりは、それまでの練習が物を言うというか、体調さえよければそんなに失敗しないです。と言うと書道にも通じるものがあるのかもしれないですね。

 

ねこ田:なるほどなあ。まあ堅苦しい話になってきましたが、ぶっちゃけモテますか、音ゲーマーは?

 

NYN-5:ええ、いや。そんなにモテる仕事でもないと思います。さすがにバンドマンみたいにキャーキャー言われることはないですね。地味ですし。書家はどうですか。

 

ねこ田:まあ仕事としてはそうかも知れませんが、あなたはよくNyanTubeにも良く顔を出しているらしいじゃないですか。そういうカリスマ性みたいなところで人が寄り付いたりしませんか。書道家はね、ちやほやされますね。書道好きなんてそうそういるものではないですが、みなさん教養がある方ばかりで。私の妻もそうです。

 

NYN-5:まあ、見てくれてるファンの方々にはありがたいと思ってますが、それと恋愛とはまた別なので。ねこ田さんはNyantubeで配信とかなさらないんですか。

 

ねこ田:してますよ。ご存知なかったですか。あなた、不勉強ですね。

 

NYN-5:そうだったですか。失礼しました。あの、どんな配信をなさってるんですか?

 

ねこ田:え?字を書いているに決まっているでしょうがい。子供のための書道技術の解説だよ。あなた、ところで帽子をかぶっているが、それもおかしくないか?人前で。ちょっとそこの人、墨をたくさんもって来てもらえるか?こいつで猫拓を取ってやる。

 

NYN-5:帽子は、僕のユニフォームなんであります。確かに無礼かとは思いますが、おい、やめたまえ、離せ、おい!誰か!離せ!この野郎!

 

ーーーねこ田さん、なにとぞお怒りをお静めください。NYN-5さんにはどうしても帽子をとれない事情がおありというか、その…

 

ねこ田:…はっ。すみません。取り乱してしまいました。申し訳ない。私はマタタビ乱用者でして。あ、ここは記事にはしないでくださいね。一旦吸わせてください。すみません。……スー、ハースーハー…。ああ、生き返った。大変失礼しました、帽子をお返しします、NYNー5殿。あれ、どうかしましたか、NYN-5殿?

 

NYN-5:ウオオオオオッ、ウッ、闇が、ウウッ、早く、かぶ、被せてくれ、ググッ、ウグッ、ウオオ!うニャアアアアア!フッ、フッ、ギニャア!シャーッ!シャーッ!キイイ!(奇声を発しながら後頭部を抑え、のたうち回る)

 

ーーーだだ、大丈夫ですか??どうされました!?

 

NYN-5:ギニャア!キイ!フーッ、フーッ、フシャアア!ウニャア!ギイ、ギイ、グウゴロロロロ、ニーッ!ウナア!ウノオオ!グニャア!ヌーッ!ヌーッ!(狂ったように部屋を駆け回り、あたりへ威嚇する)

 

ねこ田:くそ、なんだこの臭気は!うう、吹き飛ばされそうだ…ひとまず、書道の力で鎮める!くそ、この帽子は邪魔だ、被っておけ!(帽子を投げてNYNー5のような何かにかぶせる)

 

NYN-5:グニュウウ、フゴフゴ、グギギギギ……(後頭部から黒い腕のようなものが生え、帽子を受け止める。その傍には赤い目のようなものが光って見える)

 

ねこ田:(筆と墨汁を受け取る)貴様、猫ではないな…静まりたまえ!書道の力とはすなわち字の密度・造形美の総合得点なり!喰らえ!四文字熟語、”起承転結”!!

 

ーーーえ???え????なんですかこの展開は!?ドッキリですか???いや、それにしてはほんまもんの殺気や、、、

 

NYN-5だったもの:グオオオオア!!(黒い腕が目を抑え、苦しみのたうつ)

 

ねこ田:ふん、効いておるな。それは、お主に教養がない証拠だ!百万回生まれ直して学び直して来たまえ。とどめだ、これは知るまい!””隔靴掻痒””!!!

 

NYN-5だったもの:フニャアアアア!!!!!ギイ!ギイ!ウググオゴォ、ウギィ、ウゴォ!ニイイウオオオアアアアアアアア!ピュウ(けたたましい叫び声を上げながら苦しんだ末、身体ごと消滅し虚空へ消え去る)

 

ねこ田:隔靴掻痒…痒かゆいところに手が届かないように、はがゆくもどかしいこと。 思うようにいかず、じれったいことだ。靴の上からは足をかけないようにな。……覚えておけ。まあ、次の世では、一緒に墨を擦ろうじゃないか。

 

NYN-5だったものの欠片:(物も言わず風に吹き飛ばされる)

 

ーーーえ、えぇと…。何があったのか…? 先生が筆を握った途端、猛烈な殺気が出て、気が付いたらNYN-5さんが塵芥になっていて…何が何だか私にはわかりません…。 もし、差し支えなければ、ここからは、ねこ田にゃん三郎先生の単独インタビューという形に切り替えさせていただきたく思いますが…

 

ねこ田:そうですね。まあテーマは”芸で生きるということ”でしたかな?芸は、身を助くと言いますが、あれは本当です。飯にありつけたり、敵を排除したり、幸せになれたり、色々な意味で我々を助けてくれる。音ゲームだろうと書道だろうと同じです。”猫はコタツで丸くなる”時代は、人間が知らぬ間に、もうとっくに終わっているのです。1億猫総活躍社会、私はそのみんなの夢の実現に芸というものが大きく噛んでいると思いますよ。

 

ーーーいいお言葉を頂けましたので、これにて終わりとしたいと思います。本日は貴重なお時間をどうもありがとうございました。

 

ねこ田:こちらこそどうも。

 

 

NYN-5の残留思念:(一体、場が丸く収まったと思っているのは彼らだけであろう。肉体が滅びても、私はいずれ蘇る。新たな猫に寄生して、どこへだって姿を表し、いつかこの世を食い尽くしてやる。しかしそれには準備がいる、しばらく休むのだ、そうして新たな身体を手に入れたら、最初にあのねこ田とかいうジジイ猫を喰ってやるのだ……)